「関東戦国史と御館の乱」


Twitterでいつも良くしていただいている、戦国上杉家の研究者・乃至政彦さんが共著で2月に本を出版されたというので、早速購入しました。
上杉謙信の養子のひとり・上杉三郎景虎の視点から、御館の乱関東甲信越の情勢を読み解く本になっています。
斬新な説や、今までにあまり知られなかった事もたくさん書かれてあり、イメージを刺激される面白い本でした。
ネタバレもあるので、続きからどうぞ。

謙信が後継者に選んだのは?

前半は戦国関東の情勢の解説、後半は御館の乱についての詳細の解説になっています。
前半の読みどころは、今まで深い謎であった『謙信が、景虎と景勝のどちらを後継にしようとしていたか?』の件に関して繰り出される独自の説です。

複雑な関東情勢の事情により、謙信は単純に「景虎あるいは景勝を後継に」と指定する事が難しくなってしまう。
「関東に静謐をもたらし、全てを円満に運ぶため」謙信が考えた案は、ある人物を謙信の後継(”屋形”)とすることだった。
そのために景勝と景虎は、それぞれある妥協を強いられる。

・・・という説なのですが、この説が真相だとしたら、謙信パネエと思いました。
その妥協とは、景虎には「(後継が約束されていたにも関わらず)後継をあきらめる」、景勝には「跡継ぎを作らない(結婚しない。ゆえに謙信存命中は景勝に縁談が持ち込まれなかった)」という、普通であればかなりキツイと思われる条件なのですが、「地位にこだわらない」も「非婚」も謙信にとっては、どちらも普通にクリアできている事項。
苦し紛れだったとは思うけど、自分ができるからといって他人にも提案してしまうのがすごい。
この案を出したのが謙信だったからこそ、2人は聞き入れたのだと思う。他の人からでは、とうてい納得できないレベルの提案やろ・・・と思いました。

景勝の気概

後半は、「御館の乱」の詳細が語られます。
この乱は景勝側・景虎側いずれかの積極的な働きかけや敵愾心ではじまったわけではなく、様々な行き違いの末に起こってしまった争いだったそうです。

謙信の死亡直後からの景勝の行動や判断は、北条武田や伊達、着実に力を蓄えていく織田と対抗しなければいけない中で、自分(と景虎)で「謙信のいない上杉家を支えていかなくてはならない」ことの厳しさやプレッシャーを感じさせます。

景勝の内心について考えた

ここからは私の想像ですが、景勝はこの事態に最大限対応するために、自分が正式な後継者であれば、もっと動きやすい立場であれば、そもそも、武士として、後見人といわずもっと活躍できれば・・・!と無意識的にあるいははっきりと思ったのではないでしょうか。
謙信死後からの景虎の態度を見て、自分との気持ちの差も感じたでしょう。

御館の乱後、景勝は幼少の頃からの自分の側近である「上田衆」に贔屓をしたかのような恩賞を与えます。
上田衆は景勝の側近として働くと同時に、「もっと活躍したい(後継になりたい)」という「内心」も含めて、(知ってか知らずか)応援していたのだと思います。上田衆は、景勝がもし後継になってくれれば、得をする立場です。
贔屓をすれば不満が生じる事は当然わかっているにも関わらず、景勝は自分の願望を支えてくれる立場の上田衆に心強さを感じ、重用せずにはおれなかったのではと想像しました。

それにしても

よく戦国時代の女性は、政略結婚の道具にされたりして大変だったみたいなことを言われたりしますが、景虎と景勝も同等以上に大変だったのではないかと思いました。
この二人が特殊な例だったのかもしれませんが、武家の子息も、家の事情で将来が縛られたり変更を余儀なくされたり、ずいぶん不自由なものではありませんか。
この二人や越後の出来事に関して、想像が広がった一冊でした。
それと同時に、自分がいかにあらゆる謎や疑問や不明点を無意識的に「謙信の趣味だからじゃない?」で片付けていたかを自覚しました。トンデモないです。
史料を読みこみ、謎を解き明かしていく事の手間ひまに思いを馳せました。


【追伸】
去年このブログで書いた記事の中で紹介していた、景虎から河田長親への書状がこの本でも紹介されており、訳ものっていました。
私の訳は、完全に間違っていたことが判明いたしました。
精進いたします・・・orz