河田家文書展と与板ツアー その2


長岡旅行2日目です。
長岡駅からバスに乗って、与板へ向かいます。



長岡駅前には、長岡城の石垣がありました。



バスに乗っていると、信濃川を渡る橋を通ったり、このように一面雪の風景があらわれたり、遠くに雪をかぶったいかつい山が見えていたりと、普段見られない光景が多く感激していました。信濃川は広いし、山はごついし、新潟はスケールがでかいです・・・。
バスに乗って30分ほどで、与板に着きました。
商店街の中にあるバス停で下車し、しばらく歩くと、与板歴史民俗博物館(兼続お船ミュージアム)に着きます。


近くには、移築された与板城門もありました。


直江兼続銅像です。
平日の午前中だったためか、館内は私一人で、ゆっくり見ることができました。
兼続とお船のことを中心にした、わかりやすい展示でした。
河田関係の書状は2階に展示されていました。河田長親は謙信への取り次ぎ役をしていたので、謙信に伝えたい事のあるいろんな人から書状をもらっているのです。
以前もブログで書いたのですが、書状を見ていると、現代での有名無名に関係なく、それぞれの人物がそれぞれの立場から繋がりあって活動していたんだなと改めて感じました。
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あとひとつ発見だったのは、お船と信綱が一緒に署名している書状の写しがあったことです(写しなので、現物ではないのですが)。
天正9年、与板衆の一人に屋敷の買い取りの許可を与える内容(うろおぼえ)の書状なのですが、お船が先に署名し、あとに信綱が署名している形になっていました。
信綱が直江家の家督を継いだ後は信綱が仕切っているんだと思っていたのですが、この書状写しを見るとお船にメインの権限があるような雰囲気がしてなりません(笑)
お船は上杉家でも特別な女性だし、こうして若い頃から跡取り娘として扱われていたのかなと思うと胸熱です・・・。
(2012年4月追記:某さんより、戦国期の連署状は、後に署名する者が上位である場合が多いと教えていただきました。教えていただきありがとうございました〜( TДT))


さて、ミュージアムをあとにしまして、バスに乗って長岡駅に戻ることにしました。
写真は、与板商店街近くの町並みです。与板でも長岡でも、たいていの店舗では、玄関前に雪よけの軒がついていました。

横向きのめずらしい信号もあります。

バスの時間まで少し余裕があったので、近くにあるらしい本与板城址と、その近くにあるお船生誕の碑を見に行ってみようと思い立ち、地図を片手に歩き始めました。

しかし、本与板城址はすんなり見つかったのですが、お船の碑がない・・・。
そうこうしているうちにバスの時間が迫り、間に合いそうになくなったので、このあとの予定(新潟県立歴史博物館に行く予定だった)を変更し、与板めぐりをすることにしました!
お船の碑がまったく見当たらず、行ったり来たりウロウロしているうち、看板が見つかりました。

コレがなければ絶対にお船の碑にはたどり着けなかったと思います・・・。

看板から少し歩いた、住宅地の奥のほうに碑がありました。
兼続が「そう簡単に嫁に会わすものか!」と知恵をふるったのかと妄想するくらいにはわかりにくい場所にあったのですが、お船がこの地で生まれたから碑がこの場所にあるのであって、別に兼続のせいではありませんでした。(当然だ)
続いて、与板城址に行くことにしました。
本与板城址と与板城址はわりと近くにあるのですが、荷物もあるので歩くと結構大変です。


それらしい山があり、近づいてみるとこのとおり、入り口が雪で埋もれていました。
実は、2日目は栃尾城址村上城址に行こうという計画もあったのですが、栃尾は雪がまだまだ残っていると広井さんから聞いていたので断念していました。
与板がこうなのだから、さらに山側の栃尾や北の村上はどんだけ・・・とおののきました。

直江家の菩提寺である徳昌寺にも立ち寄りました。

徳昌寺の門前からの眺めがすばらしいです。


特急の時間に間に合うように、そろそろ長岡駅に帰らんと・・・とバス停に向かい、時刻表を見ると、私の記憶ミスでバスが来るまであと40分待たねばならないことになっていました。
待ち時間にお店で何か食べようかと思いましたが、もう一歩も歩きたくなかったので、バス停のベンチで持っていたお菓子を食べながらのんびりと静かな商店街をながめてボーッとしていたら、なぜか時刻表に載ってない時間に長岡駅行きのバスがやってきまして(笑)、ラッキーと思いつつ駅に戻れました。
帰りのバスからも雪景色が眺められ、与板の旅はのんびりと終えることができました。

特急からの雪景色です。
数年ぶりの新潟旅行でした。今度は栃尾や村上、魚沼にも行ってみたいです。
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございます!